2024年春の名古屋周辺旅行 大垣~関ヶ原間の東海道本線に関して 垂井線と新垂井線
ここ数年の名古屋周辺旅行で大垣駅を中心に、養老鉄道、樽見鉄道などの路線を訪問しましたが、大垣駅からは西へ伸びるJR東海道本線には関ケ原までの20-25‰の急勾配を緩和するため、1944年10月11日に開業した新垂井線(南荒尾信号場~関ヶ原間13.6km、勾配10‰の下り専用線)があり、新垂井駅も設けられました。戦時中の軌条の逼迫では25‰の本来の本線下り線(垂井線、同10.7km)は廃止されました。しかし沿線の人々にとってみれば垂井駅と新垂井駅は3km程離れいており、上下線で駅が別々であることはあまりに不便極まりないとのことから1946年11月1日に下り本線は復活しました。新垂井線は特急「こだま」、急行貨物「たから」、フレートライナーなどが通過する線路として使用され、普通列車も垂井線経由と新垂井経由が存在しました。一方で国鉄側としてみれば下り普通列車を敢えて2系統に分けて運転することは得策ではないとのことで、1986年11月1日に新垂井駅は廃止となり、普通列車は垂井線経由に一本化されました。
新垂井駅廃止直前の1985年4月の時刻表における大垣~関ヶ原間の旅客、急行荷物列車
特急、急行などの全優等列車は新垂井経由、急行荷物列車、貨物列車も新垂井経由で、普通列車で新垂井経由は1日、5本の設定でした。
1975/10 真鶴~湯河原間 EH103 の牽引する貨物列車
東海道本線の米原電化完成が1955年で当時の直流貨物用電機の主流はEF15でした。EF15の出力ではこの区間(関ケ原越え)は1100tが限界で、戦後の復興が軌道に乗ったこの時期、1200tの貨物をけん引し、EF15の75km/hから85km/hにスピードアップするために開発されたのがEH10でした。1954年7月から9月にかけ、試作機4両は川崎、日立、東芝、三菱で完成、試験が繰り返されたのち、1955年から量産に入り、1957年までに64両が製造されました。
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