1975/10 真鶴~湯河原へ 5 EH10について
湯河原で写した貨物用機関車の最後はEH10と行きたく思います。もちろん、EH10以外に当時の東海道・山陽区間の最強機関車のEF66も走っており、写真も撮っているのですが、EF66に関してはデジカメで撮りだした後も夭折した一部の機関車を除いて、全機にわたって撮影しているので、別の機会に集中的に取り上げてみたく思います。
EH10は1954年に登場し、1957年までに64両が製造された国鉄唯一の8動軸の機関車です。1200t貨物列車を牽引して当時、電化が進展しつつあった関ヶ原を越えるには当時の最新鋭機EF15では荷が重すぎたため、EF15と同程度の性能を有する主電動機を8個使用する大型機関車を投入してこの問題を解決しようとしたとのことです。
構造的特徴は、それまでの台車枠に先輪、動輪、車体は機器の覆いの役割の概念を排除して、電車同様の鋳鋼製2軸ボギー台車を装備し、牽引力は台車から車体台枠を経て連結器に伝えられるようになったことです。これまでの機関車と異なり、先輪がないため全軸駆動となり、重量の全てを粘着力に生かせるようになり、牽引力は向上しました。
試作機 1-4
川崎、日立、東芝、三菱の4車輌メーカーがそれぞれ1両ずつ製作。パンタグラフが中央寄りに存在 これは引き通し線の重量を削減するためだったようです。
量産機 5-64 (15を除く)
量産機は汽車会社を加えた5メーカー体制で製造されました。番号とメーカーの関係は、5-10, 28-30, 39, 40, 46-48, 58,59 (日立)、11-15, 31-33, 41, 42, 49, 50 60-62 (東芝)、16-20, 34, 35, 43, 51, 52, 63, 64 (川崎)、21-25, 36,37, 44, 53-55 (三菱)、26, 27, 38, 45, 56, 57 (汽車)。
高速度試験機 15
動力集中方式による高速列車の開発を考えての試験機として1955年に東芝で落成した15号機が充てられた。実際には動力分散方式(電車)での高速列車方式が採用されたため、後年貨物用に改造されました。
3号機 4両製造された試作機のうちの1両
番号不明機 モニター屋根の構造がよく分かる 湯河原
11号機 75年10月頃には既にPS22B パンタを搭載した改造機がいた 沼津
27号機 磐田にて
55号機 湯河原にて
当初は高速貨物用に使われましたが、1960年以降、EF60が登場するとコンテナ列車の高速化に対応できず一般貨物用に転用され、さらに瀬野八本松間での補機との出力均衡が困難あったため、岡山以西には入線せず、宇野線までの入線に留まりました。
1975年以降は老朽化の進行で数を急激に減らし、1982年までに全機が廃車されました。
東海道線を列車で走っていると必ず黒い物体と突如すれ違うことがあり、その走行音も記憶に残っていますが、最後は急激に数を減らし、消えて行ってしまったように記憶しています。(テキストに関してはNEKO MOOK 1737 鉄道車輌ガイド vol 7 EH10, 国鉄機関車EH10形 Wikipedia記事を参考に記述しました)。
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